仕事始めの想ひ出

今日が仕事始めの人が多いんでしょうね。

わたしはリタイアしてから2回目のの正月となりました。

仕事始め特有の雰囲気

会社員だったころは、年末年始休暇以外にゴールデンウイークや夏期休暇など、ほかにも長期休暇がありました。

どの長期休暇でも休み明け1日めは気が重かったわけですが、この正月明けの仕事始めがいちばん気が重かった気がします。

いろいろな要因はあったと思うのですが、それはやはり正月特有の雰囲気があったからだと思います。

挨拶回り

ほかの長期休暇にはない仕事始めの要素として、年始の挨拶回りがありました。

わたし自身は技術部門所属で営業ではないので、社外や他部門などへの挨拶回りはなかったのですが、営業部門の人々は仕事始めの朝から各部署に年始の挨拶回りをするのが慣わしになっていました。

営業部門の人たち

営業部門のすべての人に対して思っていたことではないのですが、わたしにとって営業部門の人々というのは、やりたくない仕事の象徴みたいな人たちが多かったので、その顔を見るだけもウンザリなのに、それが部門別に列をなして職場を回っているのですから憂鬱にならないわけがありません。

そんなわたしですから、彼らを穿った眼で見ていたことは否めませんが、挨拶そのものを空々しく感じていましたし、技術部門との連携を各営業部門で競っている面もあったので、技術部門の有力者への挨拶がなんだか年の始めからガツガツしているようで、嫌らしいような悲哀が漂っているような、いずれにせよ、あんまりいい気分ではなかったように思います。

社員同士の挨拶、冷え切った社屋

礼儀作法(とくに意味があるのかわからない社交辞令)などが苦手なわたしとしては、社員同士が年始の挨拶を交わしているのも少し違和感を感じていました。もちろん社交辞令としてちゃんと挨拶していましたが。

さらに、年末年始に空調が切られて冷え切ったコンクリートがなかなか暖まらない職場の物理的な寒々しい感じなどもあいまったうえに、ほかの長期休暇と同様の気の重さがプラスされて、仕事始めの朝はとくに気が重かったように思うわけです。

リタイアしたいまは

で、いまはリタイアしたので、もう仕事始めに出社するということはなくなったわけです。

これは幸せ以外のなにものでもありません。

もともと、今日が仕事始めのところが多いんだろうな、とは思っていましたし、昨年の1月もすでにリタイアしていてその幸せを感じていたので、今年はもうそんなに感慨はないんじゃないかと思っていました。

でも、今日のテレビのニュースでいつもながらの仕事始めの出社風景などを見ていたら、実にはっきりと当時の職場風景が思い出され、いまの自分の環境のありがたさを改めて実感したのでした。

いつか、そんな職場の風景を思い出さなくなる日もくるのでしょうね。

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