『ミスタッチを恐れるな』(ウィリアム・ウェストニー著、西田美緒子訳)を読みました。
趣味のピアノの練習の足しになればと、ときどきこの手のピアノ本を読んでます。
今回はどちらかというとピアノを教える側に向けた本、また、ある程度弾ける人をいかに伸ばすかという点に重きが置かれているようなので、わたしのような初心者はちょっと対象外のような気がしなくもないですが、それでも得るところはありました。
たとえば練習していてミスすることについて書かれている下記の部分、
練習時間を最も効率的に使う方法のひとつとして、正直なミスをできるだけたくさん、意図的に生み出すことがあげられる。それによって上質なデータが手にはいる。方法はシンプルだ。意識を集中させながらもリラックスし、選んだ部分を楽しく生き生きと弾いて、その結果に細心の注意を払うこと。必要に応じて繰り返すこと。けっして、むきにならないこと。そのプロセスを信頼し、コントロールしようとしないこと。内から湧き上がる感情を全面的に楽しむこと。
これがこの本の根幹に流れている考え方のような気がします。
一見、なんということはない普通のことのようですが、いざ練習してみると本当に「楽しく活き活きと弾いてるか」「集中してリラックスしてるか」「むきになってないか」など思い直してみるとそうでないことも多い気がします。
また「コントロールしようとしないこと」はこの本で繰り返し出てくるキーワードです。別の表現としては「コントロールを得るためにコントロールを手放す」という禅問答のような話だったりします。
例えばたいていの人は自転車でとくに意識しないで運転してると思いますが、最初は自転車にハンドルを意識的にしがみついたりしてかえって転んでたりしたんではないかと。乗れるようになってしまえばハンドルを意識することなく運転できてるはず。
つまりピアノで運指やテンポ、音符、うまく弾こうという点などに意識が行き過ぎるとかえって弾けなかったり、ぎこちない演奏になってちっとも楽しくない上に上達しないということではないかと。
まあ「言うは易く行うは難し」なわけですが、なにか楽しくないと感じたり、なかなか上達しないときに闇雲に練習したするのではなく、何かが間違ってると考えて立ち止まって思い直すことも大事ではないかと。
あとミスタッチについて、
ささいなものに思えたミスを本気で受け止めず、取るに足りないとみなして、イライラしながらその場ですぐなおしてすませるのは簡単だ。「こっち-弾こうとしていたのはこっちだった-ちょっと注意が足りなかった」と独りごとをつぶやいて終わらせる。こうして一瞬のうちに直したことは、すぐ忘れてしまう。しばらくすれば、そうやって小さい修正をした事実さえ頭に残らない。字ががそれを無視しているわけだが、問題は、うっかり弾いてしまった音符と正しい音符の両方を同じくらい確かな情報として体が記憶し、どちらかに決着を付けなければならない状態になっていることだ。体はほんとうのところ、どっちがどっちだかわかっていない。
の部分は、何度練習しても同じところで間違えてしまう部分にはこういう問題が隠れてるんだな、と。つまり「体が迷ってる」わけですね。
この解決策も「ただ自分を信頼し、エネルギーの流れにまかせて演奏することだ。懸命になって音の位置を探す必要はない」とそれができればそれはいいんだけど、みたいな話なんですけど、いかにしてそういう状態に持っていくかというヒントとしては、
・体が神経学的にどんなふうに「感じる」かのフィールイメージを描く
・動作の好ましいかたちを思い描く
などといったことにより「体に動作を理解させる」ということがポイントとのこと。
こういった練習のヒントが第4章「手順を追って-健全な練習のガイド」に凝縮していて、個人練習者はこの部分だけ読んでも得るものがあるんではないかと。
また第10章「冒険好きなアマチュア」は大人になってから楽器を始める人が勇気づけられる内容です。