今年も松の内である7日が過ぎました。
個人的な年賀状がゼロ
今年はついに、わたし個人宛の個人年賀状が0枚になりました。
「わたし個人宛の個人年賀状」というのは、カミさんと連名の宛先になっているもの、および、過去に関係のあったショップや生命保険株式会社などのビジネス的な年賀状は含まないという意味です。
カミさんと連名になっているものについても、どちらかというとカミさん宛の度合いが強く、カミさんが主体的に送ったり返信する相手なので、本稿執筆時点でこの年末年始に、わたしが年賀状を書くことは1枚もありませんでした。
プリントゴッコ時代
そのむかし、パソコンがなかったころやカラープリンタが高価だったころは、プリントゴッコを使って印刷していました。
わりと凝った年賀状を作っていた
当時は凝り性だったので、ハイメッシュマスターと呼ばれる版をいくつか用意して多重印刷などをしていました。
印刷したての年賀状はインクがすぐには乾かないので、部屋中に年賀状を敷き詰めて、乾いたものから次の版を刷るという、いま考えると気の遠くなるような作業を夜中までしていました。しかも宛名は手書きという。
凝り性といっても、アートだか落書きなんだかわからないような、あんまり年賀状ぽくないものを毎年刷っていました。
年賀状を減らす契機
そのうち、めんどくさくなって、送付先毎に異なる変な絵葉書(もちろん年賀状用ではない)をわざわざ買ってきて送るようになりました。
その後、カラープリンタで印刷することが当たり前になったころは、もうカミさんがいたので、デザインはカミさんがやって印刷して、自分はコメントを直筆するだけになりました。
このあたりから、年賀状を減らそうと思うようになった気がします。
はっきりとは覚えていませんが、10年くらい前でしょうか。
そもそも昔から年賀状は…
べつにパソコンになって自分の裁量でデザインをしなくなったから、減らそうと思ったわけではなく、絵葉書にしたころから、もう買いに行くのがめんどくさいと思うようになっていたように思います。
だったら、年賀状印刷をアウトソーシングすればよかったのかもしれませんが、そういうことはしたくなかったんですね、きっと。
というのも、いま思うと学生だったころから年賀状の形骸的な感じが好きではなかったのだと思います。
そこに無理矢理意味をもたそうとして(自分としては)オリジナリティのある年賀状を送ることに意義を感じて、そんな年賀状を送っていた、と。
だから、カミさん任せにしたころは、もうメールなどが普及していて親しい間柄の人とは別に年賀状でわざわざ挨拶する必要もないと考え、いい機会だと思ったわけです。
減らした方法
自分から積極的に送るのをやめて、いただいたものにだけ返信するということを毎年繰り返して、ついに今年、自分で返信すべき年賀状がなくなりました。
思いのほか短期間で0枚になったのは、もともとあまり人付き合いがそれほど広いほうではなかったということもあると思いますが、リタイアしたことで、かなりの人が疎遠になったことで加速した面もあると思います。