一昨日あたりからネット上で、小山田圭吾氏が五輪開会式の音楽に携わっていることで、問題そのものの議論もありつつ、反五輪、反自民、嫌電通など様々な立場の発言にかっこうの燃料となってますな。
詳細はネット上にあふれかえってるのでここでは触れませんが、小山田氏の開会式制作メンバー除外を求める署名もchange.orgで発足し、本記事投稿時点で8500人を超える賛同を得てまだ伸びそうな勢いですが、いまさら除外できるんだろうか。なんでもっと早く話題にならなかったんだろう。
そんななか見かけたツイート。
最近の小山田圭吾や小沢健二の悪評を見ていると、人生50年を過ぎると答え合わせの時期が来るんだなと感じる。
— ふまつげん (@implooob) July 15, 2021
わたしは小山田氏の雑誌記事のようなことはしてないですが、過去を思い起こして穴に入りたくなるようなこともあるわけで、そういう「あの時の自分」と「その後の暮らし」そして「今」を想うとき、まさに答え合わせみたいなものだなと。
この先も「答え合わせ」し続けると思いますが、そういうことが始まるのが身体能力や思考能力、容姿などの劣化を如実に感じ始める50代になると過去と対比して「答え合わせ」が始まるということなのかな、と。